シーと蒼き衣
ミーへ
定禅寺通りの欅並木は、重たいぐらいの濃い緑で覆われていました。
夜の19時頃、地下鉄の勾当台公園駅に向かって、憂鬱な気持ちで歩いていました。
晩翠通りから、真っ直ぐ東へ向かう通りで、地下鉄駅の手前には、仙台市役所があります。
もうすっかり陽は落ちて、車のライトが、忙しく通りを照らしていました。
国分町通りとの小さな交差点を渡ると、道路の脇に、街灯の仄かな明かりに照らされて、ほんとに小さな白い仔猫が鳴いていました。
びっくりしました。
なぜそんな人や車が往来する道路に、ぽつんと1匹の仔猫がいたのかわかりません。
道路脇の白線のすぐ内側あたりに、小さな声で鳴いていました。
ミィミィ
私は、このままでは車に轢かれてしまうと感じ、とにかく抱き上げようと思いました。
私を見上げて、鳴いている小さな白い仔猫。
その瞳の純真さに、吸い込まれそうでした。
そっと手を差し伸べました。
すると仔猫は、突然、一瞬で、私の指に噛みつきました。
イタッ
激しい痛み。
薬指が血で滲んでいます。
とても小さな口だけど、歯はしっかり生えていました。
この子は、小さくても野生の生き物なんだ
とても怯えている
私は、ポケットからハンカチを取り出し、それを仔猫に噛ませた隙に、素早く抱き上げました。
少し震えています。
こわくない
仔猫は、こんな小さな身体でも温かく、微かな呼吸を繰り返していました。
生きている
こんなに小さくても
懸命なんだ
私は、壊れそうな小さな命を、包むように抱きながら、ゆっくり歩き始めました。
ちょうどすぐ近くに、少し前に古くなったビルが取り壊された、小さな空き地がありました。
ここなら
辺りは真っ暗でしたが、空き地の奥に、ハンカチで包んだまま、小さな白い仔猫をそっと置きました。
すると、空き地の奥の古い塀の上に、1匹の白い猫が、じっとこちらを睨んでいました。
母猫?
白い猫は、じっとしたまま動きません。
母猫なら大丈夫か
私は、ハンカチの上の仔猫を見つめました。
ミィミィ
元気でな
仔猫の小さな鳴き声を聞きながら、暗い空き地をあとにしました。
翌朝は、爽やかな青空でした。
風もなく、初夏の白い雲は佇んだままです。
私は、いつもより早く家を出て、近所のコンビニで猫の缶詰を買いました。
昨晩は、あの仔猫が気になって、どうしようもなかったのです。
定禅寺通り深い緑の欅並木が、語りかけているようでした。
足早に、あの空き地に向かいました。
汗が頬を伝わります。
左右の低いビルに挟まれた小さな空き地は、朝の陽射しで眩しく見えました。
幾分、目を細めて見渡しました。
しかし、子猫の姿はありません。
母猫らしき白い猫もいません。
空き地の奥まで入って、瓦礫の混じる地面をもう1度、慎重に見渡しました。
奥の塀の外も確認しました。
やはり、あの小さな白い仔猫も、母猫らしき白い猫も見当たりません。
もうどっかに行ってしまったか?
隣のビルの隙間から、朝陽が差し込んで、瓦礫の混じった地面が輝いていました。
もう探しようもない
諦めて、空き地を出た瞬間。
道路の脇に、蒼いハンカチが落ちているのが、目に留まりました。
ハンカチは人に踏まれたのか、汚れて佇んでいます。
そう…
私が、あの小さな白い仔猫を包んだ、蒼いハンカチです。
ハンカチを拾い上げると、たくさんの小さな白い毛がついていました。
なぜだか身体が熱くなりました。
どこに行った?
言い知れぬ怒りが込み上げて来ました。
どこに向かっていいのかわかりません。
コンビニ袋の中の缶詰を、感じました。
振り向きました。
しばらく、朝陽の差し込んで輝いている、瓦礫混じりの空き地を見つめました。
数日後。
私は、洗濯した蒼いハンカチを、ハーフパンツのポケットに忍ばせて、愛犬シーズーのシーと、その空き地に戻りました。
空き地は、瓦礫が混じったまま、やはり朝の陽射しに包まれていました。
シーは、じっと空き地を見つめていました。
再び、近くの定禅寺通りの深い緑に覆われた欅並木が、語りかけて来るようでした。
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