シーと森の隠遁者 Part12



登り棒


淡いピンク色の花びらがふっくらです。
綿あめのように膨らんだ何本もの桜の木が、広い校庭を囲んでいます。

ときおり風によって、花びらが舞います。
地面がピンク色に染まります。

真新しいスーツの男の子たちと、上品なドレスの女の子たちが、大き過ぎるランドセルを背負ってぎこちない笑顔を見せています。
親たちは、我が子の晴れ舞台を写真に収めようと、校門近くの大きな桜の木の下に集まっています。

桜が儚はかなく美しいと人は言うけれど、その頃の私には、ただのピンク色の花のひとつにしか過ぎません。
年に1度の刹那さを感じるには、まだ早すぎます。

校庭の南側には、さまざまな遊具がありました。
この山下第二小学校は、1学年1クラスだけの小さな学校でしたが、県でも指折りの遊具が揃っていました。

その中でも校庭の1番南西の場所に、地面から空に向かって鉄の棒がおよそ7、8mほどの高さにおよぶ登り棒がありました。

私はクラスの男子の中でも、いち早くこの登り棒を登ることができました。
大半の男の子は、途中で力尽きて登ることができません。
しかし私は、クラスでも背が高い方ではないにも関わらず、腕と足の力が強いのか簡単に
登ることができました。

登り棒の頂上には、そのまま腰かけられる場所があり、よく空を見上げました。
下には登ることができなかった男子が、羨ましそうに見上げています。

私は得意になってこの空に近い空間で、風を感じ、雲を感じ、空の青さを感じました。

東には、太平洋から村を守る松の防風林が見えました。
西には、濃い緑の阿武隈山地が連なっています。

そして北西の方角には、あの「隠遁者」の「森」の樹々の頂上部分が、ブルーの澄んだ青空の下に幻のように霞んで見えました。
たしかに「森」は、存在していました。

ふっくらした満開の桜が校庭を、儚く彩っていた放課後、私は登り棒の頂上からトンビが飛んでいる様子を眺めていました。
澄んだ空の低いところには、わた雲が浮かんでいます。

そのわた雲の上空を、トンビが飛んでいます。
春の訪れを待ちわびたかのように鳴いています。

ピーヒョロロロ
ピーヒョロロロ


すると下から、ナオミ先生の澄んだ声が聞こえて来ました。

ユキヒロ君
話しがあります
降りて来れますか?

ナオミ先生は、いつものようにフリルの付いた白いブラウスに、柄のあるロングスカートを履いています。

ふとそんな先生に、なんだか少し悪戯をしたくなりました。

ナオミ先生
上まで登って来てください
空を眺めながら話しをしてください

ナオミ先生は、一瞬ビクッとしました。
眩しそうに、右手で光をま遮りこちらを見上げます。

無理です
そんなところまで登れません

大丈夫です
1度試してみてください
ナオミ先生ならきっと登れます

ナオミ先生は、銀縁のメガネの顔を当惑させて、しばらく考え込んでいます。
そんな様子が楽しくなって、さらに追い討ちをかけました。

ナオミ先生
こっちはとても風が気持ちいいです
あの「隠遁者の森」も見えるんです
もし登れたら
とっておきの秘密を教えてあげます
まさか登れないなんて言うことはありませんよね

しばらくナオミ先生は、儚い瞳で見上げていました。
思考を全開に巡らせます。

………

そしてようやく決心がついたのか、小さな花の飾りのある白いシューズを脱ぎ、白いソックスも脱ぎました。
おそるおそる鉄の棒を、細い指の両手で確かめるように握りました。

もし登 れなくても
クラスのみんなには内緒にしてくれますか?

はい
大丈夫です
決してみんなには言いません
約束します

ナオミ先生は、フリル付きの白いブラウスの上半身と、柄のあるロングスカートから白く細い脚を露わにして鉄の棒に飛びつきました。
そして銀縁のメガネの顔を、固い表情のまま上に向けました。

はい

気合いをかけて、細い腕に力を込めます。
下半身は、両脚で鉄の棒を挟んでいます。

顔がひきつっています。
必死にしがみついてます。

そしてようやく、右手を離してやや上を握り直しました。
早くも顔が歪み、かなり辛そうです。

そして、そのまま動かなくなってしまいました。

ナオミ先生
大丈夫?

もう無理です

もう泣きそうな表情です。

上空でトンビが鳴きました。

ピーヒョロロロ
ピーヒョロロロ


私とナオミ先生は、すぐ隣のブランコに並んで、ふっくらした桜を眺めるように腰掛けました。

もうトンビは、どこかに飛び去っていました。
澄んだブルーの空の低いところに、わた雲が浮かんでいるだけです。
だいぶ陽は傾いて来ました。

銀縁のメガネを外して、顔の汗をハンカチで拭っています。
めったに見せない素顔です。
私は、横目で凝視しました。
傾いた陽を受けて、美しいと思いました。
いつもの石鹸の香りもします。

ナオミ先生
とても惜しかったですね
ほとんど登れていませんけれど

ユキヒロ君
私をからかってますね

再び、銀縁のメガネをかけたナオミ先生は、桜のように頬をふっくらさせました。
少女のように頬を赤く染めています。

ナオミ先生
話しってなんだったんですか?
………
もう話したくなくなりました
………
でもやはり話します
………
ユキヒロ君から預かった
「キリストは再び十字架にかけられる」を
ようやく半分読みました
全部読み終えるには
まだずいぶん時間がかかりそうです
待っててもらえますか?

なんだそんなことですか?
早く知りたいですけど
ナオミ先生も忙しそうだから
待っています
そのかわり
きちんと教えてくださいね

そんなこととはなんですか?
今度は本気で怒りますよ

銀縁のメガネの奥の優しく美しい瞳が、笑っていました。

足元には、桜の花びらが風に運ばれてのか落ちています。
美しいものこそ儚いものだということが、ナオミ先生の息 づかいから感じました。

阿武隈山地に沈む夕陽はなぜか儚い
去年の夏、「大排水」の底から見つかったカナエも儚かった
………
世の中は、儚さに満ちている
儚いから美しいのか?

ふっくらした満開の桜の花びらが、風にまた運ばれて来ました。

ユキヒロ君
とっておきの秘密ってなんですか?

ナオミ先生は、銀縁のメガネの奥の儚い瞳を向けました。

それはまだ秘密です
簡単に教えたら秘密じゃなくなります
ナオミ先生から
「キリストは再び十字架にかけられる」の話しを聞けた時に打ち明けます
これでお相子ですね

澄んだブルーの空に、再びトンビが戻って来ました。
上空をぐるぐる回っています。
わた雲も微笑んでいました。


国鉄官舎の家に帰ると、純子から手紙が届いていました。
純子の好きな薄いピンク色の封筒でした。

南窓のレースのカーテン越しに、空が紅く染まっているを感じました。
あたたかく輝く学習机に腰掛けて、ドキドキしながら開封しました。

純子の懐かしい石鹸の香りが、漂って来るようでした。




シーズーと一緒に映画

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