シーと太宰治
私が初めて太宰治の小説を読んだのは、高校3年の夏休みでした。
その頃私は父の仕事の関係で福島県の南相馬市(当時は原町市)に住んでいました。
その夏休みは、大学受験のため電車で1時間半ほどかけて仙台市の文理予備校まで夏期講習を受けに行っていました。
大学受験勉強を始めたのが3年生になってからと、スタートが遅かったため何とか挽回するために夏期講習を受けることにしたのです。
当時は、今のような電車ではなく、電気機関車が木製の客車を連結して引っ張っていました。銀河鉄道の999に出てくるような客車です。
いわゆる受験生だったので、テレビも観ないし、遊びも行かないそんな勉強だけの生活を送っていました。
しかしそんな中で、どういう訳か小説だけは読んでみたいという欲求が起こったのです。
なぜそんな心境になったのか、今となってはわかりません。しかし最初に手に取ったのが、太宰治の「斜陽」だったのです。
そして夏期講習で仙台に向かう常磐線の列車の中で、「斜陽」を読み始めました。
「斜陽」は、高校生には刺激の強い小説だったと思います。
没落貴族の美しく優しい母が亡くなり、主人公の娘かず子は、恋と革命のために生きようと決意します。
以前より慕っていて、荒れた生活を送っている東京の流行作家の上原の元を訪れます。
そして上原と結ばれた晩に、戦地から戻り麻薬中毒だった弟直治が自殺をしてしまいます。
それはとても衝撃的でした。
4人の運命がまさに斜陽のようにとても美しく哀しい物語でした。
世の中には、このようなことが本当にあるのか?このような小説を書く太宰治とはどんな人間なのか?
私は、太宰にすっかり魅了されてしまいました。
それから地元仙台の大学に入学し、文芸部のようなサークルに入って、ますます文学にハマって行ったのです。
大学1年の秋、祖父の家に下宿していた私は、太宰の真似をするかのように、毎晩泊まり歩き酒を飲んで荒れた生活を送っていました。
世間知らずで、甘ったれた感傷に浸り、しかも自分が何者かもわからず、その答えを太宰や小説に求めていたのです。
ある秋の晩、私は仙台から東京行きの夜行急行に乗っていました。
たしか夜の10時過ぎに発車して、翌朝東京へ着く夜行の急行電車でした。
目的は、東京三鷹の禅林寺にある太宰治の墓を訪れることでした。
それほどお金がなかったので、チョコレート1つだけを食料に、太宰治の資料をカバンに入れていました。
朝、東京駅に着きました。
大学受験で上京して以来の東京でした。
やはり大都市の大きさにに圧倒されていたと思います。
まずは吉祥寺まで電車で行きました。
太宰の小説に度々出て来る井の頭公園を散策してみたいと思ったからです。
それから太宰が入水自殺した玉川上水を見てみました。小さな堀のような上水はまだ残っていましたが、水も枯れ雑草に覆われこんなところで入水したんだと思いました。
そして最後に三鷹の禅林寺。
たしかお寺には案内があって、それほど迷わずに太宰の墓の前に立つことができました。
斜め向かいには森林太郎(森鴎外)の墓。
太宰治の墓には、きちんとたくさんの花がたむけてありました。
私は花の代わりに煙草を1本供えました。
両手を合わました。
どんな思いだったのか?
ただお墓をお参りして救われた気持ちになり、まっとうな人間になろうと誓ったと思います。
翌年の夏休みには、青森県の金木町にある太宰治の生家の斜陽館にも行ってみました。
大地主であった津島家らしくとても大きく立派な建物で、1階は座敷を利用したレストランになっていました。
戦後農地解放で解体した大地主を目の当たりにした太宰が、実家の衰退を貴族の没落に置き換えて描いたのが「斜陽」でした。
滅び行く悲哀を描くとともに、それに逆らう勇気と希望を描いたのが「斜陽」だったと思います。
しかし、そんな太宰も最後は山崎富栄と自殺をしてしまいます。「斜陽」で描かれていたはずの生きる決意は実りませんでした。
話しは変わりますが、そんな太宰治の小説に犬を題材にしたものが1つだけあります。
「畜犬談」です。
主人公の私が犬を猛獣と決めつけ、噛みつかれないように犬と出会った時は、やさしい人間であるよう努めているうちに、逆に犬に好かれてしまいます。
家までついてきた野良犬のポチを飼うことになってしまいますが、それは愛情からではなく犬から復讐されないようにするためでした。
しかしポチが皮膚病になり、ついに牛肉に毒を混ぜて殺そうと試みますが、ポチは死なずに後をついて来ました。
そこで私はようやくポチと暮らして行くことを決意します。
白紙還元である。家へ帰って、
「だめだよ。薬が効かないのだ。ゆるしてやろうよ。あいつには、罪がなかったんだぜ。芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」私は、途中で考えてきたことをそのまま言ってみた。「弱者の友なんだ。芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ。僕は、ポチを東京へ連れてゆこうと思うよ。友がもしポチの恰好かっこうを笑ったら、ぶん殴なぐってやる。卵あるかい?」
「ええ」家内は、浮かぬ顔をしていた。
「ポチにやれ、二つあるなら、二つやれ。おまえも我慢しろ。皮膚病なんてのは、すぐなおるよ」
「ええ」家内は、やはり浮かぬ顔をしていた。
結局太宰は、犬を決して嫌いではなく、むしろ愛情を持っていたからこそ、このような作品を描いたのでしょうか?
最後に、太宰治の短編に「1つの約束」というのがあります。本当に短い短編です。
しかし私にとっては、「斜陽」に劣らず気に入っている作品です。
また機会があったら紹介したいと思います。
よかったら、ぜひ1度読んでみてください。
毎日シーと暮らしていると、ご飯を食べてくれなかったり、寝てばかりいたりすると心配になってしまいます。
元気よく散歩をして、きちんとご飯を食べてくれれば嬉しくなります。
シーが毎日安心してしあわせに暮らして行けるように、いつも私とシーの2人だけの「犬の十戒」を忘れずにいようと思っています。
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