シー食べて&ミツバチのささやき
最近シーがカリカリご飯も缶詰もなかなか食べてくれません。去年あたりまでは、ご飯を用意し始めると素早く察知して、皿を置いた瞬間に食べ始めていたのに…
しかし最近は、ご飯を用意していてもすぐに姿も見せてくれません。
シーご飯だよ!
やっと台所の少しだけ開いた引き戸から顔を覗かせ、じっとこちらの様子を伺います。
もう1度、
シーご飯だよ!
でもそのままじっと見つめています。
手にささみスティックを2、3本取って、
ほらこれもあるよ!
ようやくご飯の入った皿に近づいて来ます。
皿にはカリカリご飯、その上に缶詰の野菜入りビーフとささみスティックが置いてあります。
しかしシーはささみスティックだけを食べて、カリカリご飯も野菜入りビーフも残してしまいます。
やはりささみスティックだけでは、栄養も取れないし偏った食事になってしまうので、何とかしなくてはなりません。
私はTwitterに毎日のようにシーの動画を載せています。
あるフォローしていただいた方のツイートを拝見したところ、愛犬に苺を食べさせている動画がありました。
犬も苺を食べるんだ?
私は今まで人間の食べるものを犬に食べさせてはいけないと思っていました。だからシーには人の食べるものを与えたことは1度もありません。
でもくだものならいいのかな?
しかし正直、シーは人間の食べ物をいつの間にか食べてしまったことが何度もあります。油断していると台所のテーブルの上に置いた物をジャンプして前足で落として食べてしまうのです。
ある日曜日の朝も、前の日にセブンイレブンで買ったナポリタンを食べようとしたら、台所のテーブルの上に置いたはずのナポリタンがありません。
あれ?
隣のシーの部屋に入ると、シーが元気よくしっぽを振っていました。
しかし何か変な感じです。
口の周りがオレンジ色っぽい???
シー?
シーの顔を覗き込むとそれはどうやらケチャップようでした。
やられた!
案の定、廊下には空になったナポリタンのプラスチック容器が横たわっていました。
シーは夜中に台所のテーブルの上に置いてあったナポリタンを得意のジャンプで落として全部食べてしまったのです。
実はそんなことは何度もありました。
だから私は買って来た食料はシーの手の届かないようにテーブルの真ん中に置いて、決して端の方には置かないようになりました。
話しは戻りますが、Twitterで犬が苺を食べる動画を見て、シーにも食べさせてみては?
と思ったのです。
さっそく近所のスーパーで苺を買ってシーに試してみました。
わりと大きな一粒の苺をシーの口元にもって行きました。
しかし多少匂いを嗅いだかもしれませんが、あまり興味を示さず食べてはくれませんでした。
やっぱり食べてくれないか?
今、シーはカリカリご飯も野菜入りビーフも苺も食べません。
食べるのはささみスティックとお菓子だけです。
ほんとに何とかしないといけません。
少し焦っています。
何かいい方法ありますか?
今回はスペイン映画のミチバチのささやきを紹介します。
この映画は1973年、スペインのフランコ独裁政権家で撮影されたビクトル・エリセ監督の傑作です。
独裁政権下で公に批判ができない時代であったため、エリセ監督は作品を象徴化することによって政府批判の検問を逃れたと言われています。
1940年頃、スペインのカスティーリャのある村に「フランケンシュタイン」の巡回上映がやって来ます。
6歳の少女アナは、フランケンシュタインが少女メアリーに優しくするのに、なぜ殺してしまったのか疑問を持ちます。
なぜ 怪物はあの子を殺したの?
なぜ 怪物も殺されたの?
姉のイサベルは答えます。
怪物もあの子も殺されてないのよ
映画の中のできごとは全部ウソだから
だから 精霊だって言ったでしょ
友達になれば、いつでもお話しできるのよ
目をとじて 彼を呼ぶの
私はアナよって
アナはフランケンシュタインが精霊であり生きていると信じます。そしてイサベルから村外れの井戸のある1軒家に隠れているのだと教えられます。
ある日、アナはその井戸のある家に身を潜めている1人の負傷兵を見つけます。アナはその兵士に食べ物と父の上着を届けます。
しかしその後、負傷兵は見つかり撃ち殺されてしまいました。
井戸のある家に血の跡を見つけたアナは、そのままいなくなってしまいます。
そして夜の森を彷徨います。
アナが池に映る自分の顔を覗き込んでいると、その顔がフランケンシュタインに代わってしまいます。
すると背後からフランケンシュタインがのそのそと歩いて近づいて来ました。
彼は膝まついてアナと向き合い、アナの肩に手をかけようとしました。
アナは静かに目を閉じます。
アナは助けられますが、眠らないし、食べないし、口もききません。
光りも嫌がります。
皆が寝静まった深夜、アナはコップの水を飲み干し、窓の扉を開きます。
お友達になれば いつでもお話しができる
目をとじて 呼びかけるの
私はアナです
どこからか汽笛が聞こえて来ました。
原題は直訳すると「蜂の巣の精霊」
詩人であり劇作家のモーリス・メーテルリンクによる蜂の生活について書いた本の中から引用されています。
それは蜂たちが従っているかのように見える強力で不可思議かつ奇妙な力、そして人間には決して理解できない力のことのようです。
この映画は、スペイン映画ということもありほとんど知られていなくて、たまたまレンタルショップでテープの表紙の少女アナの表情に魅せられて借りたことを覚えています。
しかし映画を観てみると、スペインの小さな村の美しい風景や、アナの魅力、最後にフランケンシュタインが現れてしまう幻想的な話しに、とても引き込まれてしまいました。
今までにないとても詩的で美しい映画でした。
シーのご飯の皿にはまだ苺が3つ残されたままです。
シーはまだ食べてくれません。
朝までそのままにして様子をみることにします。
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