我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか(ゴーギャン)
シーは散歩が大好きです。
私が散歩に行こうと準備を始めると、素早く察知して、しっぽを全開に振って全身で嬉しさを表します。
あまりにもはしゃぐものだから、じっとしてくれなくて、リードをつけるのに苦労してしまいます。
シーじっとしてて
散歩だよ
もう10年程前の2009年、東京の竹橋の国立近代美術館でゴーギャン展が開かれました。
しかもあの代表作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」がボストン美術館より海を渡って公開されるというのです。
私がその情報を得たのは、インターネットで偶然知ったものでした。
しかし当時の私は、ポール・ゴーギャンのことは、ゴッホと共同生活をしてタヒチに移住した画家ということぐらいしか知りませんでした。
ですから彼の代表作がこのような哲学的なタイトルで、しかもあのような神秘的な絵だとわかった時、言い知れない衝撃を受けました。
とくに1つの絵のタイトルに「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という人間の根源的な問いかけをつけてしまうことにとても驚きました。
ゴーギャンとは何者なのか?
そんな思いが強くしました。
秋晴れの暖かい土曜日、愛車のルノーのカングーで東京まで行きました。
やはり美術館はとても混んでいました。
ゴーギャンの最高傑作が東京で観れることは2度とないかもしれない、みんなそんな思いだったのではないでしょうか。
しばらく並んでチケットを買いゴーギャン展に入ってみると、たくさんのゴーギャンの作品が展示されていました。
そしていくつかの部屋を過ぎて、今までよりも広い部屋に辿り着くと、大勢の人がその部屋に唯一展示されてある巨大な絵画に群がっていました。
それはとても大きな絵でした。
私はまずその絵の大きさに圧倒されてしまいました。とくに横長で、絵の前にはロープが張られてありました。(縦139.1cm、横374.6cm)
すぐにそれがあの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」であることがわかりました。
この絵は右から左へ絵巻のように物語が描かれています。ですから鑑賞方法も、順番にロープに沿って絵の右側から左側に歩いて鑑賞するようになっていました。多少立ち止まることはできても、長い時間同じ場所から観ることはできません。
私は1度だけでは物足りず、3回歩いてその巨大な絵画を鑑賞しました。
絵の最も右側に描かれている黒い犬がゴーギャン自身らしく、絵の右側が「我々はどこから来たのか」の部分、中央が「我々は何者か」の部分で、左側が「我々はどこへ行くのか」の部分が描かれているとされています。
私はこのゴーギャンが魂を込めた最高傑作と対面するにあたって、ほとんど知識を持っていませんでした。事前に調べて知識を得ることはできたはずです。しかし、漠然となんの知識もなく白紙の状態でこの絵と対峙したいと思ったのです。
ですから正直この大作と直面した時も、その絵の大きさに圧倒され、とても神秘的な印象は受けたものの、まったく何もわからず、ただこの絵を目に焼きつけたいという思いだけでした。
とくに中央部分の果物を取る少女の姿を目に焼きつけました。
ゴーギャンが何者なのか?
その答えはすぐにはわかりませんでした。
いや、わかるはずはないのかもしれません。
しかしその後、ヒントを求めてゴーギャンやこの大作のことをいろいろ調べてみました。
フランスで株取引の仕事をしていたが、大暴落のため辞めざる得なくなり、画家の道に進んだこと。家族と別れて1人タヒチに赴いたこと。
それから貧困と病気に苦しみ、最愛の娘アリーヌを亡くし絶望の中で遺書としてこの大作を描いたこと。
しかもこの大作は、まるひと月の間、昼も夜も情熱をこめて描かれ、「この作品が、これまで描いたすべてのものよりすぐれているばかりか、今後これよりすぐれているものも、これと同様のものも、決して描くことはできないと信じている」とゴーギャンが友人への手紙で語っていること。
そして絵の左側上部には、あの言葉「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が書かれていること。
またある仮説として、幼少期にカトリックのメスマン神学校に通っていたため、その影響下でキリスト教の教理問答から、もしくは聖書からこのタイトルが生まれたのではないかということ。
私も1度訪れたことがありますが、東洋の真珠と賛辞されたシンガポールのラッフルズ・ホテルの1室でタイプライターを叩きながら、絵を描くために安定した生活を捨て、死後に名声を得たゴーギャンの生涯を描きあげたサマセット・モームの「月と6ペンス」という有名な小説があること。
そしてこの絵を描いた後、砒素を飲み自殺をはかるものの未遂に終わり、数年後に亡くなることなど。
ゴーギャンは決して幸福な人生を送ったとは言えないかもしれません。
彼がパリの都会よりもタヒチの原始的なものに惹かれ、自ら確立した究極の美は、最後にあの絵をもって私たちに問いかけているようでもあります。
彼の魂は、根源的な深い問いかけのメッセージを残して、南の島で消えてしまったのでしうか?
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
2017年、「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」という映画が制作されました。
まだ観てはいませんが、機会があればぜひ観てみたいと思っています。
今日もシーとセブンイレブンまで買い物に行きます。
シーは散歩に行けるから大はしゃぎするでしょう。
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