虹の橋第3部
「虹の橋」にはもう1つ「雨降り地区」という3部目の詩があります。
しかしこれは、それまでの作者不詳の短編詩とは違い、日本人の芝山弓子さんが綴られたものだそうです。
おそらく芝山弓子さんが、第2部まで読まれて、もう1つの物語を繋いでみたのでしょう。
虹の橋第3部
こんな風に、幸せと愛の奇跡に満ちている、「虹の橋」の入口に、
「雨降り地区」と呼ばれる場所があります。
そこではいつもシトシト冷たい雨が降り、動物たちは寒さに震え、
悲しみに打ちひしがれています。
そう、ここに降る雨は、残してきてしまった誰かさん、
特別な誰かさんの流す涙なのです。
たいていの子は半年もしないうちに、暖かい日差しの中に駆け出して
仲間と戯れ、遊び、楽しく暮らすことができます。
ほんの少しの寂しさと、物足りなさを感じながらも・・・
でも、1年たっても2年たっても、ずっと「雨降り地区」から
出て行かない子たちもいるのです。
地上に残してきてしまった、特別な誰かさんがずっと悲しんでいるので、
とてもじゃないけれど、みんなと楽しく遊ぶ気になれないのです。
地上に残してきた誰かさんと同じつらい思いをして、
同じ悲しみにこごえているのです。
死は全てを奪い去ってしまうものではありません。
同じ時を過ごし、同じ楽しみを分かち合い、愛し合った記憶は、
あなたの心から、永遠に消え去ることはないのです。
地上にいる特別な誰かさんたちの、幸せと愛に満ちた想い出こそが、
「虹の橋」を創りあげているのです。
ですからどうか、別れの悲しみにだけ囚われないでください。
彼らはあなたを幸せにするために、神様からつかわされたのです。
そして、何よりも大事な事を、伝えにやって来たのです。
命と儚さと愛しさを。
つかの間の温もりに感じる、慈悲の心の尊さを。
その短い生涯の全てを以って、教えてくれるのです。
癒えることのない悲しみだけを、残しにくるのではありません。
思い出して下さい。
動物たちが残して行ってくれた、
形にも、言葉にもできない、様々な宝物を。
それでも悲しくなったら、目を閉じてみて下さい。
「虹の橋」にいる、彼らの姿が見えるはずです。
信じる心のその中に、必ずその場所はあるのですから・・・
「虹の橋」を読まれて、最愛のわが子が待っててくれる、手をつないで一緒に天国の門をくぐってくれると救われた方はたくさんいらっしゃると思います。
私も「犬の十戒」と「虹の橋」を初めて知った時、どれほど心が救われたかわかりません。
最愛のわが子が、「虹の橋」で楽しく幸せに暮らしながら私のことを待っててくれる。
こんなに嬉しいことはありません。
しかし、どんなに「虹の橋」を読まれても、ほんとの悲しみが消え去ることはないかもしれません。
励まされ、立ち直ろうとしても、やはりほんとの悲しみは消えないものです。
「雨降り地区」では、特別な誰かさんが流した涙のため、動物たちがシトシト降る冷たい雨にあたって悲しみに打ちひしがれています。
悲しみを断ち切れず、流してしまった涙。
でもたいていの子は半年もしないうちに、暖かい日差しの中に駆け出して、楽しく幸せに暮らすことができます。
でも、1年たっても2年たっても、ずっと「雨降り地区」から出て行かない子たちもいるのです。
特別な誰かさんがずっと悲しんでいるため、
同じつらい思いをして、同じ悲しみにこごえているのです。
芝山弓子さんは、そんな悲しみを断ち切れずいるあなたのために、この「虹の橋」第3部を綴られたのでしょうか?
最愛のわが子が、暖かい「虹の橋」に行かずに、冷たい「雨降り地区」にとどまっているとしたら…
別れの悲しみにだけ囚われないでください。
彼らはあなたを幸せにするために、神様からつかわされたのです。
そして、何よりも大事な事を、伝えにやって来たのです。
命と儚さと愛しさを。
それでも悲しくなったら、目を閉じてみて下さい。
「虹の橋」にいる、彼らの姿が見えるはずです。
芝山弓子さんは、懸命にあなたを勇気づけよう救ってあげようとされたように思われます。
とても真摯にあなたのために。
しかし本当に残念ながら、どんなにすばらしい言葉に接しても、悲しみが消え去ることはないかもしれません。
むしろ私は、その悲しみと共に生きることが大切だと思っています。
なぜなら、それだけわが子を愛した証なのですから…
私は「虹の橋」で、先に旅立ったアメリカショートヘアのミーと、もし私が後になったら、シーが待っててくれると信じています。
そして、今一緒に暮らしているシーにできる限りの愛情を注ぎたいと思っています。
どんなに忙しくても、大好きな散歩に連れて行こうと反省しています。
シーごめんね
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