シーと森の隠遁者 part2



プールから、更衣室のある体育館へは、短い砂利路でつながっていました。
夏の烈しい陽射しで、大小さまざまな石ころは、黒かったり、灰色だったり、あるいは白かったりと、いろいろな色に輝いています。

小さめの平べったい石ころを、2つ拾いました。
強い直射日光に晒されて、熱くなっています。
1つずつ、右と左の耳の穴に、落ちないように、はめ込みました。
耳が熱くなり、奥に留まっていたプールの水が、滲み出て来ます。

ユウちゃん
また石ころ?

あったかくて
気持ちいいよ
耳の水が出せるし

同じクラスのカナエは、しゃがんで、自分の石ころを探し始めました。
濡れた豊かな黒い髪が、ネイビー色のスクール水着の背中に、貼り付いています。
少しだけ細めた瞳のまつ毛が長く、儚く美しい横顔でした。

ユウちゃん
着替えたら
一緒に帰ってね

夏の太陽が眩しく、滲むような暑さの中。
小学校脇の小さな古い駄菓子屋で買った、水色のソーダ味の棒アイスを、舐めていました。
カナエは、お嬢様らしい、フリルの付いた白いキャミソールを着ていて、どこか涼しげな顔と相まって、さらに上品な雰囲気を醸し出していました。

私たちの耳には、あったかい平べったい石ころがはめ込んだままです。
カナエは、よく私の真似をしました。
ソーダ味の棒アイスを買うと、カナエも買いました。

常磐線の小さな踏み切りを渡り、「大排水」の鉄製の橋を渡りました。
「大排水」とは、そこの大きな用水路のことです。
幅が数メートルほどあり、小さな川のように大きいので、みな「大排水」と呼んでいました。
深緑色の水面のため、どれだけ深いのかはわかりません。
また「大排水」が二手に分かれた間の陸地を、「ひょっこりひょうたん島」と呼んでいました。
当時、流行っていたテレビ人形劇の島に、似ていたからです。

通学路の町道から、背丈ほどにも伸びている雑草の間の小径へ入りました。
「大排水」に架かる細く簡易な鉄製の橋を渡ると、「ひょっこりひょうたん島」に辿り着きます。

わずかな風に乗って、田舎の匂いが届きました。
自然の匂いなのかもしれません。
土や草や花や、田んぼや畑や生き物なんかが混ざった、懐かしい匂いです。

「大排水」の簡易な鉄製の橋を渡ると、夏の烈しい陽射しに深緑色の水面が、キラキラ反射していました。
ところどころ背伸びした雑草に覆われた「ひょっこりひょうたん島」の先端の方に、四角い蓋のない段ボール箱が置かれていました。
なんと、小さな三毛猫のような仔猫が、3匹鳴いていました。

わー
かわいい

私たちは、しゃがんで、夏の陽射しに晒されて、わずかな声で鳴いている、儚い仔猫たちを眺めました。
3匹のうち、1匹は横になったままじっとしています。

暑そうだ
このままではマズイよ
喉も渇いているかも

「ひょっこりひょうたん島」の北の方角の、背の高い雑草の隙間から、大きな笠をかぶったような1本の松の木が覗いていました。

カナエちゃん
「一本松」まで運ぼう


大きな笠をかぶったような「一本松」の下へ、難儀しながらも慎重に、段ボール箱を運びました。
ようやく、強い陽射しから逃れて、「一本松」の木陰は、オアシスのようです。
汗が、全身から吹き出していますが、ハンカチを忘れたので、白と黒のボーダーのタンクトップの裾を持ち上げて、顔を拭きました。

これ使って

カナエが、フリル付きのピンクのタオルハンカチを、差し出しました。

ハンカチで汗を拭きながら、段ボール箱の中の、壊れそうな命の仔猫たちを眺めました。

水を飲ませてあげよう
待ってて
水筒持って来るから

私は、カナエを残して、再び炎天下を、家へと走り出しました。
左手には、フリル付きのピンクのタオルハンカチが握られていました。


満タンにした水筒を肩にかけて、「一本松」へ戻ると、カナエの姿がありませんでした。
初めは、その辺からすぐに戻るだろうと思っていましたが、いっこうに姿を現しません。
360度、眩しく輝く稲穂で覆われた周辺を、必死に見渡しましたが、見つけられません。

「一本松」の木陰の段ボール箱は、そのままです。
止めどなく溢れる汗を、フリル付きのピンクのタオルハンカチで拭いました。
しかたなく、仔猫に水を飲ませようと、プラスチックの容器に、水筒の水を注ぎました。
ふと、段ボール箱の仔猫が、1匹いないことに気づきました。
あの横たわっていた仔猫が、いませんでした。


阿武隈山地が夕焼けに染まり、あたりは騒がしくなり始めていました。
カナエが、まだ帰っていなかったのです。

私は、父から、母から、担任の若い女性教師のナオミ先生から、話しを聞かれました。
扇風機の音が、一定のリズムで鳴っています。
純子の胸に抱かれるようにして、少しだけ涙が出ました。
晩ご飯の、香ばしい匂いに包まれるはずでした。
フリル付きのピンクのタオルハンカチを、握っていました。
カナエのこと、仔猫たちのことを思いました。

茶の間の箱型のカラーテレビからは、「おばけのQ太郎」が流れていました。
純子の優しい腕に包まれていなければ、もっと大声で泣いていたかもしれません。

やがて、父と母が慌しく、茶の間から出て行きました。


翌朝も、夏の太陽が、大宇宙の摂理を守って、眩しく輝きながら登り始めていました。
白いご飯に、バターを乗せ醤油でかき混ぜていると、セルロイド製のメガネをかけた母が、沈痛な顔で、四角い座卓の向かいに座りました。

カナエちゃんは、「大排水」で見つかりました
溺れていました
ユウちゃんには、責任はありません
気持ちはしっかりして
あとで
ごあいさつに行きます
ご飯はちゃんと食べなさい

バターが白いご飯に、ようやく馴染んで来たところでした。
どんな味がしたのかわかりません。
おそらく、バター混ぜご飯は、霞んでよく見えなかったし、よく噛むこともできなかったと思います。


後日、子供の私にも詳しい事情が、ようやく伝わって来ました。

「ひょっこりひょうたん島」のすぐ傍の「大排水」の底から、衣服のままのカナエは見つかりました。
「ひょっこりひょうたん島」には、1匹の仔猫が死んでいたそうです。
カナエを見つけたキッカケは「隠遁者」でした。
なぜ彼が、「大排水」の底に、カナエがいるとわかったのかは曖昧でした。
カナエの父親に、震えながら、「大排水」にいると伝えたそうです。

父親は、すでに暗闇に包まれつつある「大排水」に飛び込んで、探し回り、沈んでいる我が娘を、見つけ出しました。
狂ったように、泣き叫んだそうです。
そして「隠遁者」は、警察に連れて行かれました。


夏休みが終わる頃、純子と半分だけになった向日葵を眺めていました。
楽しく輝きに満ちているはずの夏が、終わろうとしていました。
この夏は、海にも行けませんでした。
純子の石鹸の香りが、少しだけ慰めてくれました。

カナエの長いまつ毛が、浮かんで来ました。


秋風が立ち始めた頃、「一本松」で、「隠遁者」を見かけました。
その日の「隠遁者」は、やはり黒っぽい格好をしていましたが、逃げることなく私を凝視しました。

ありがとう
シロにご飯を

シロとは、「隠遁者」が飼っている白い痩せた犬のことでした。
私は、「隠遁者」が警察にいる間、毎日こっそり「森」に入り、シロにご飯を与えていました。
そして、シロの傍の2匹の三毛猫のような仔猫にも、ご飯を食べさせていました。

意外にも、端正な顔立ちの「隠遁者」は、沈みかけた陽を浴びて、微笑んでいました。
あたり一面に、黄金色の稲穂が拡がり、「一本松」が、すくっと構えている光景は、神々しくさえ見えました。




シーズーと一緒に映画

愛犬シーズーのシーと毎日iPhoneで映画を観てます 私が観て来たたくさんの映画を紹介いたします

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