シーとマリア Part9



再び十字架にかけられたキリスト


東窓の古びたベージュのカーテンが、仄かに明るくなっています。
布団の足もとにはシーが、足首の少し上あたりにお尻をくっつけて、寝息を立てています。
それはあたかも、絆を確かめるようでした。

両耳にカラフルなリボンを付けて、白にゴールドの体毛の身体をうつ伏せにして、すやすや寝ています。
しかも、カバーのないくすんだ色に変色した村上春樹の「風の歌を聴け」の文庫本に、ぺたりと顔を乗せています。

iPhoneからは、辻井伸行のピアノで、Ravelの「亡き王女のためのパヴァーヌ」が流れていました。
小学生の頃、太平洋沿いのある小さな町の「森」で、初めて聴いた思い出の曲です。
姉のようだった弁護士志望の女子高生の姿が、蘇って来るようでした…

今朝、目覚めたら、本当に久しぶりに読もうと思っていた「風の歌を聴け」は、シーの「寝言を聴け」に、代わってしまいました。
お姫様が起きるまで、村上春樹のデビュー作は、お預けです。


LIDヘッドライトが、濡れたアスファルト道路を、鮮やかに浮かび上がらせています。
暗闇に浮かぶオレンジ色のスピードメーターの数字は、80キロを示しています。
BMWサウンドが、心地良く鳴り響いていました。
スピーカーからは、松たか子の「アナと雪の女王」のテーマ曲「Let It Go」が、流れています。
シーは、疲れたのか助手席の私の胸の中で、ぐっすりと寝ていました。

薄暗いMINIクーパーの狭いブラックの後部シートには、新潮文庫の河野万里子訳の「星の王子さま」と、講談社文庫の村上春樹の「風の歌を聴け」が、ティッシュBoxやハンドタオルと一緒に、無造作に放置されていました。
マグダラのマリアは、やはり「星の王子さま」を読んでいたし、村上春樹も読んでいました。

そして、一昨日の深夜。
定禅寺通りの欅並木の緑のトンネルを、彼女の運転で、メタリックシルバーのMINIクーパーを疾走させました。
その時に質問した解答を、今日こそは聞かせてもらおうと思っていました。

もう1回聞いてもいい?

何を?

金髪の王子さまは、自殺したの?

ネコ耳付きのベージュのキャップをかぶった彼女は、仄かなオレンジ色に縁どられた美しい顔に、悪戯を楽しむ小悪魔のような微笑みを浮かべました。

私の質問に正解したら、答えてあげてもいいわ


東窓の古びたベージュのカーテンが、採光によって眩しくさえ感じられます。
ようやくシーは目を覚まし、「風の歌を聴け」のくすんだ文庫本が、解放されました。

それからシーは、まだ布団に寝そべっていた私に飛びかかり、右腕に甘噛みを始めました。
この甘噛みは、ほんとに小さな頃からの癖で、時々、甘噛みというよりは、本気噛みと言いたいくらい、痛い時があります。
じゃれて噛んでいるつもりでも、けっこう痛いのです。

イタッ
シーもっとやさしく

耐えられず、思わず右腕を逃げるように離すと、わがまま気まぐれお姫様は、かえってだんだん興奮して来て、さらに強く噛んで来ます。
そんな時は仕方なく、プロレスのヘッドロックみたいに、お姫様の首あたりに左腕を巻きつけて、動きを封じ込めます。

シー
まいったかー


朝ご飯の用意を始めると、茶の間の木製ガラス引戸の間から、ひょっこり顔を出して、大きな瞳で見つめます。
赤い器に、かりかりフードと缶詰のビーフを入れ始めると、素早く定位置に戻って、臨戦態勢を整えます。
赤い器を持って茶の間に入ると、丸い顔をさらに丸くし、ちょっとだけ舌を出し、ぴょんぴょん飛び跳ねます。

いつもの食事での光景ですが、この時のシーの喜びに満ちた姿が、最高に愛おしい瞬間です。


お腹が満たされたシーは、布団の上に寝そべって、寝息を立て始めました。
アサヒの糖質0ビールを片手に、村上春樹の「風の歌を聴け」のくすんだ文庫本の、最初のページを開きました。
このノーベル文学賞候補に挙がる、世界的な小説家のデビュー作が、マグダラのマリアからの課題でした。

村上春樹の「風の歌を聴け」に
登場する人物の中で
私が1番気に入っている人物を
ずばり当てなさい

とても難しい課題でした。
ともかく、金髪の王子さまの解答のため、このアメリカ小説風の芥川賞を逃したデビュー作を、10数年ぶりに読んでみることにしました。


完璧な文章などといったものは存在しない
完璧な絶望が存在しないようにね

小説は、上記の冒頭で始まりました。
途中、iPhoneで高校野球中継を観てしまい、「風の歌を聴け」を、読み終えたのは、夕方の、シーを散歩させる時刻でした。

シーは、夏の定位置の、日差しが届かないわりと冷んやりした玄関ホールのフローリングの上で、うつ伏せになって寝ていました。

シー
散歩だよ

阿武隈山地の少し上あたりに、夏の太陽はまだ輝いていました。
なぜだかセンチメンタルな光が、あたりを覆っています。
垣根付きのコンクリートの歩道にも、最後の日差しが降り注ぎ、鮮やかな紫色の松葉菊がより鮮明に見えました。

さっそくシーは、その鮮やかな紫色の松葉菊に鼻をつけて、匂いを嗅ぎ始めています。
その斜陽に向かって、ゆっくり歩き始めました。
たった今読み終えた村上春樹のデビュー作を、噛みしめるように…


世間からは、いい大人と言われるぐらいに年月だけは重ねましたが、20歳の若者よりも軽薄で思慮がなく周りに迷惑ばかりかけている私に、新しい風が吹いたようでした。

20代最後の年に書いたという、若干軽いタッチの「風の歌を聴け」は、村上春樹のすべてがすでに書かれてありました。
マグダラのマリアの課題を忘れて、読んでしまうほどです。

僕は文章についての多くをデレク・ハートフィールドに学んだ

主人公の「僕」は、そう語ります。
途中、たとえばハートフィールドの「火星の井戸」という小説も紹介されます。
しかも、ハートフィールドは、1938年6月のある晴れた日曜日の朝、右手にヒットラーの肖像画を抱え、左手に傘をさしたまま、エンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び下りています。

小説の最後で、オハイオ州の小さな町の、彼のハイヒールの踵ぐらいの小さな墓を訪ねます。
墓碑には、ニーチェの言葉が引用されていました。

昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか

そして、「風の歌を聴け」は、再び、ハートフィールドの言葉を使って閉められます。

宇宙の複雑さに比べれば
この我々の世界などミミズの脳味噌のようなものだ


おそらく20代前半に、初めて村上春樹を読みました。
「風の歌を聴け」が最初です。
その後、時折、何度か読み返しました。
しかし、愚かにも今日まで、この「僕」が文章について多くを学んだというデレク・ハートフィールドが、架空の作家だということを知りませんでした。

Googleで、「デレク・ハートフィールド」を検索すると、村上春樹の小説「風の歌を聴け」の中に登場する架空の人物。主人公の「僕」が最も影響を受けた作家として登場する、とありました。


たしかに、大学図書館にハートフィールドの本を読みたいと学生のリクエストがあったという逸話は存在します。
しかし、おそらく多くの読者は、デレク・ハートフィールドが、村上春樹が生み出した架空の作家だということに気づいたはずです。
10数年も騙されていた愚かな自分に、思わず、笑ってしまいました。

こんなに長い間、信じていた人間なんて
俺ぐらいだ

繰り返しになりますが、「風の歌を聴け」は、村上春樹のすべてが書かれてある小説だと思います。
もし、初めて彼の作品を読むのでしたら「風の歌を聴け」を、オススメいたします。


阿武隈山地に隠れつつある夏の太陽が、あたりをオレンジ色に染め始めていました。
垣根も、紫色の松葉菊も、コンクリートの歩道も、住宅街の様々な屋根も、夕陽を浴びて輝いていました。
シーは、相変わらず、そんな鮮やかな紫色の松葉菊に鼻をつけて、匂いを嗅いでいます。

このわりと平易な文章で書かれた「風の歌を聴け」は、とても深い溝を持った、なかなか理解できない小説だと思います。
日本海溝のようにとても深いのです。

鼠と呼ばれる金持ちの息子で「僕」の友人が、おそろしく本を読んで来なかったにも関わらず、小説を書く決心をします。

そして、ニコン・カザンザキスの「再び十字架にかけられたキリスト」を読みます。

蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね

マグダラのマリアの課題については、まだよくわかりません。
魅力的な登場人物が何人か登場します。
「僕」であったり、鼠であったり、左手の小指のない女の子であったり、脊椎の病気の寝たきりの女の子であったり、そしてデレク・ハートフィールドであったり…


自動販売機で、缶コーヒーを購入し、戻ることにしました。
シーのリードを引っ張り、家に向けて歩き始めました。
シーの左の耳に付けてあった、カラフルなリボンがなくなっています。
どこで取れてしまったのかわかりません。
よくはしゃぐので、いつの間にか取れてしまったようです。

時々、振り返って私を見つめます。
私の存在を確認すると、また元気にしっぽを振って歩き出します。
夕陽が、シーの白とゴールドの体毛をキラキラ輝かせていました。
とても美しいと思いました。

汝らは地の塩なり




シーズーと一緒に映画

愛犬シーズーのシーと毎日iPhoneで映画を観てます 私が観て来たたくさんの映画を紹介いたします

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