シーとマリア Part13
Let It Go
東窓の古ぼけたベージュのカーテンが、採光によって暖かな明かりに包まれています。
玄関ホールのフローリングの上で寝ていたはずのシーが、いつの間にか足もとの布団の上で寝息を立てています。
だいぶ顔の毛が伸びて来ました。
焦茶色の有機質を含んだ土が、朝陽を浴びています。
玄関脇の金木犀に、つぼみが見られます。
もう少しでオレンジ色の小さな花たちが、甘く強い香りを放ちます。
シーは、金木犀の根元を鼻をつけて、匂いを嗅いでいました。
いよいよ今朝は、マグダラのマリアと軽井沢へ出発です。
彼女の父親を探す旅でしたが、彼女との初めての旅行に、気持ちは昂ぶっていました。
垣根付きの歩道に出ると、東の空は、低く横長の雲が紅く染まり、住宅街の瓦やスレートなど様々な屋根が、朝陽を浴びています。
天井の大空は、曇りのない眼ような雲ひとつない快晴でした。
短く刈られた垣根のもとで匂いを嗅いでいるシーの白とゴールドの体毛が、仄かに紅く輝いています。
きれいだ
そう思いました。
ナイキ製の黒のリュックを背負い、シーの大きなキャリーバッグを引きずりながら、彼女の洋風造りのベージュの壁の家に着きました。
梅雨の合間の紺碧色の夜…
株全体を白く覆うように花を咲かせる姿が、北極(ノースポール)の白い大地を連想させることからつけられた名前…
その可憐な少女のようなノースポールの白い花たちが、争うように小さな庭に咲いていました。
ノースポールの下で、腹ばいになったシーに困っていた時、初めて彼女と出会いました。
あら
可愛い
ショートカットの黒髪に、紺碧色の空のような濃い青色のニットのワンピースを着た彼女は、微笑んでいました。
奇跡的な美しさ…
マグダラのマリアだと思いました。
少しすると、海のように蒼い玄関ドアが開きました。
仄かに朝陽を浴びた彼女は、黒いキャップに薄手の淡いグレーのニットのセーターに黒いミニスカートです。
いつも通り、耳には白い花形のVan Cleefのピアス、首にも白い花形のVan Cleefのペンダント。
そして、クロエオードパルファムの香り…
おはよう
おはよう
シーちゃん
元気?
彼女のメタリックシルバーのMINIクーパーの助手席に、シーを抱っこして座りました。
独特のBMWサウンドが奏でられます。
黒いキャップの下の彼女は、長い睫毛の美しい瞳に口を結んで、固い決意の表情です。
いよいよ、朝陽の中、旅の始まりです。
スピーカーからは、松たか子の「アナと雪の女王」の「Let It Go」が流れて来ました。
降り始めた雪は足あと消して
真っ白な世界に一人の私
風が心にささやくの
このままじゃダメだんだと
戸惑い傷つき誰にも打ち明けずに
悩んでたそれももう
やめよう
ありのままの姿見せるのよ
ありのままの自分になるの
何も怖くない
風よ吹け
少しも寒くないわ
悩んでたことが嘘みたいで
だってもう自由よなんでもできる
どこまでやれるか自分を試したいの
そうよ変わるのよ
私
ありのままで空へ風に乗って
ありのままで飛び出してみるの
二度と涙は流さないわ
冷たく大地を包み込み
高く舞い上がる思い描いて
花咲く氷の結晶のように
輝いていたい。もう決めたの
これでいいの自分を好きになって
これでいいの自分信じて
光、浴びながらあるきだそう
少しも寒くないわ
ディズニーアニメ映画の「アナと雪の女王」、閉ざされた険しい山へ登るエルサが、魔法によって氷の橋を架け、氷の城を築城します。
「Let It Go」が流れます。
エルサの決意を表すかのように…
「Let It Go」ありのままに
東からの朝陽を浴びながら、国道4号線を南下しました。
アスファルト道路も、周りの建物も仄かに紅く染まっています。
シーは、おとなしく胸の中で寝息を立てています。
マグダラのマリアの父親が、太平洋沿岸の田園の拡がる農村の出身で、しかも弁護士だった。
胸の奥の幼かった頃の記憶が、蘇って来ました。
まさか
BMWサウンドを奏でながら風を切って疾走する、メタリックシルバーのMINIクーパーは、白石インターチェンジから東北自動車道に入りました。
アクセルが深く踏み込まれます。
エンジン音がエキゾチックに高鳴り、風の音も大きくなりす。
MINI独特の中央に位置する大きなスピードメーターの赤い針が、100キロを超えました。
黒いキャップの彼女は、美しく儚く微笑んでいます。
クロエオードパルファムの香りが、漂っていました。
スピーカーからは辻井伸行のピアノで、Ravelの「亡き王女のためのパヴァーヌ」が、流れて来ました。
幼かった頃の大切な記憶「森」を思いました。
これから起きることが、たとえどのようなことであれ、曇りなき眼で見定めようと決心しました。
キリストは再び十字架にかけられる
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