シーとピーコ
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
風邪をひいて咳が、止まりません。
東窓の古びたベージュのカーテンは、まだ暗いままです。
カーテンを捲ると、東の空が仄かに紅く染まっています。
雨が続いて、愛犬シーズーのシーと、しばらく散歩に行っていません。
喉の痛みと咳と鼻詰まりの身体で、散歩に行くことにしました。
シー
散歩に行くよ
シーは玄関ホールを一回り走ったあと、焦茶色の引き戸の扉に、何度かジャンプして催促です。
リードを首輪につけようとしても、ジャンプするので、手間取ります。
短く刈られた垣根付きの歩道に出ました。
紅葉でもないのに、紅い葉がたくさん見られます。
東の空には、縦長の雲がいくつか浮かんでいました。
一様に紅く染まっています。
紺碧色の空は、まったく染まっていないのに、縦長の雲だけが不思議と染まっています。
シーは、身体ごと前に進むのでリードが引っ張られます。
久しぶりの散歩に、興奮気味です。
Instagramに載せる動画を撮ろうと、iPhoneの操作のため立ち止まると、シーは振り向いて見つめます。
その丸い顔の大き瞳が、紅く染まっていました。
曇りのないつぶらな瞳が、紅く見えます。
紺碧色の空を、黒い野鳥が飛んで行きました。
どこからか、小鳥のさえずりも聴こえて来ます。
大学生の頃、シーと同じように相棒として飼っていた、赤目で黄色のセキセイインコのピーコを思い出しました。
勉強もせずに、本ばかり読み漁っていた頃。
大江健三郎の「見るまえに跳べ」に感化されて、平凡な人生から脱し、自分のやりたいことを模索していました。
友達も少なく、ピーコとばかり話しをしていました。
寝転んでテレビを観ていると、よく肩にとまってくちばしを口の中へ入れて来ました。
ピーコは、自分で鳥籠の入り口を、くちばしで器用に持ち上げ、外に出ることもできました。
その日も、母が買い物から帰り、両手に荷物を持ったまま玄関の扉を開けると、ピーコが玄関ホールで鳴いていました。
あっと思った瞬間。
ピーコは扉の隙間から、飛び出してしまいました。
慌てて母が追いかけても、すでに大空の彼方です。
学校から帰ると、母からピーコが逃げたと聞かされました。
奈落の底に、突き落とされたような衝撃です。
暗くなった夜空を見上げました。
月が仄かに浮かび、星が遥か彼方から光を届けていました。
母が跡を追うと、夕焼けの空をスズメの群れの1番後ろに、1羽だけ黄色の小鳥が飛んでいたそうです。
ピーコがスズメを仲間だと思い、追いかけていたのかもしれません。
翌朝から、自転車に鳥籠を乗せて、近所を探し回りました。
林のように樹々が密集しているところは、念入りに見上げました。
ピーコ
ピーコ
ピーコ
深いかなしみの中、ピーコが私に1つのことを教えてくれたような気がしました。
見るまえに跳べ
相棒の私があまりにも不甲斐ないので、ピーコは、勇気を出して大空に飛び出し、大切なことを教えてくれたのだと思いました。
東の空は、縦長の雲だけではなく、空自身も紅く染まり始めました。
やがて大きく丸い太陽が顔を出し、眩しいくらいあたりを輝かせました。
iPhoneからは、「千と千尋の神隠し」の「いつも何度でも」が、木村弓の歌で流れています。
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心踊る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
シーが、紅く染まった垣根の下から、顔を出しました。
シーの丸い顔も、白とゴールドの体毛も紅く輝いています。
天井は、青い空でした。
シー
ありがとう
シーを、両手でそっと抱きしめました。
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